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弊社日記

セルフ出版社、隙間社による日記。
KDPのことや作品紹介が中心です。
*隙間社は任意団体です*
文学フリマで買った本(続き)
0
    こんばんは、弊社です。

    早速ですが前回の続きとなります。今回も本当に簡単な感想で申し訳ないですが。

    マゾヒスティックリリィワークス『ダメ女子的映画読本』
    赤木杏さん、山南さん、いぬいみやこさん(イラスト)による映画読本。その名の通り『ダメ女子』を中心に論じられるこの本は『ダメ女子』への愛に溢れている。ポップな表紙と裏腹のゴリゴリた読み応えのある評論。良い本を読むと小説が書きたくなる、というのは私の持論ですがこの本はまさにそれ。パン神ってなんでしょう…?

    アマチュアで妥協『らくせんvol.2』
    公募の落選作、といっても一次通過から四次通過まで様々な落選作を集めた本。巻頭に作家の吉村萬壱氏が言を寄せている。巻末の解説にもある通り、集まった5作品に通底するのは『書くこと』に対しての過剰なまでの再考。読む側にもそれは要求される。だから、簡単に言って読みにくい。重い。脳が疲れる。そして面白い。

    定型詩・破調のアンソロジー『薮・やぶ・YUV』
    これもタイトル通り、定型詩・破調の短詩を集めたアンソロジー。大きな声じゃ言えないのですが私は詩ごころが皆無なので、好きだったものを。
    たかはしりおこ『詩が生まれる日』
    うにがわえりも『オナモミさんの休日』
    あとは河野さんと春麗さんのエッセイ、雑文が読んでいて楽しかったです。ちなみになむあひさんも『世界の有名人たちの歌』というタイトルで10首寄せています。ふたつ引用を。

    ねえムーミン、こっちを向かず、両手を挙げて、そう、壁に手をついて『Bang!』

    眠たいと二重になるところが好きなのかも(『マタイによる福音書五章』より)

    こんな感じの短歌でかなり浮いてる気がしてならないのですが快く受け入れてくださった編集のとみいえさま、ありがとうございました!

    他にも色々と買った本があるのですが、今回はここまでです。

    それでは皆さま、良い読書を。


    代表 伊藤潤一郎
    | 隙間社的読書感想文 | 19:00 | comments(0) | - |
    文学フリマで買った本(続く)
    0
      こんばんは、弊社です。

      今日はこの前と、さらにその前の文学フリマで買った本の感想を少しだけ。

      にゃんしー『ともだちの国』
      あぁ、これはもう完全に設定マニアの犯行ですね…あとこれは完全に褒め言葉なので誤解しないで欲しいのですが、すんごい尖ったエロゲ(失礼)のような小説です。少しだけ名作かつ怪作の『Cross Channel』を思い出しました。

      初谷むい『春の愛してるスペシャル』
      歌集。もうタイトル通りとにかくエモい。
      テレパシーで元カレ元々カレにキス こどもちゃれんじ四月は豪華
      「閉店後バナナに毛布を掛けること」とのメモがありいいなあバナナ
      とかが好きです。愛がはみ出てる。共に引用です。

      オカワダタキナ『水ギョーザとの交接』
      甥っ子が叔父さんとおせっせするっていうとんでもないパンチラインの小説です。一番良かったのが叔父さんの「宇都宮は宇宙のすみっこだから、平気なんじゃないかな」っていう台詞です。そういう妙な軽さが癖になりますね。

      正井『沈黙のために』
      タイトルと装丁でもうやられますね。そろりとした手つきで書かれたむっつの話。特に好きだったのが『フォスフォレッセンス』で、人が死んだ瞬間にエピタフが口からすべり出てくるというのが美しくて。

      ひとまずここまで。続きます。そのうち。
      | 隙間社的読書感想文 | 19:30 | comments(0) | - |
      『動物記』高橋源一郎
      0
        前回の感想からかなり日が開いてしまいましたね。お久しぶりです、弊社です。

        さて、毎年この時期は副業であるところの仕事がかなりバタバタとしていつも本を読むどころではなくなるのですが、今回はどうしても今年中にこの本を読まなくてはいけないと思いちょっと無理をしつつも読了しました。高橋源一郎さんの『動物記』です。ええと、ちょっと長くなりそうですが良ければお付き合いください。

        さて、まずはなぜ今回この本を読もうと思ったかというと、実はなむあひさんがいま書いている初の長編小説『かれらの7日間戦争』(以下『かれらの』)とモチーフが酷似しているのではないかと思ったからです。

        この本を見つけたのは私がさいたま新都心にある紀伊國屋でした。
        買い物のためにコクーンという巨大商業施設を訪れたのですが、そのなかに紀伊國屋さんが入っており「へーこんなところにもあるんだー」なんて思いながら立寄りました。
        そしてなんとなく見に行った日本文学のコーナーにこの本がありました。帯には『言葉』、『動物』、『戦争』という『かれらの』でまさにキーワードとしていた言葉が散りばめられていたのです!
        めまいを感じながらも中身をパラパラと(失礼)めくってみます。シロクマさん、パンダさん、カンガルーさんといった動物たちが人間的なリアリズムのなかで暮らしている様子が描かれたいました。
        またパラパラとめくってみると、過去にあった『事件』で人がいなくなったことが描かれています。
        「いまこれを読んではいけない!」という予感がありました。私はすぐにその予感に従い本を棚に戻し、そして紀伊國屋をあとにしました。
        そしてそのことを何人かの方に相談してみたのですが、そのなかのひとりが「読んでみて似ているところと違うところを見極めると良いのではないか」というアドバイスをくれました。そして「主に不満を感じたところを意識して改稿したらどうだろうか」とも(共に要約)。

        『かれらの』は2016年5月1日から同年11月末まで手書きで書いたのですが、それを2017年1月から本格的に清書しつつ改稿しようと思っていました。ですがそれを前にしてこの小説の存在を知り怖気付きそうになっていたのです。
        そのアドバイスを聞き、なるほどなと思いました。私はそのことを早速なむあひさんに伝え、まずは自分で読んでみることにしました。

        『動物記』は九つの章から成っており、最初は『動物の謝肉祭』からはじまります。森の動物たちが出てきて人間世界での俗物的な内容の話を、作者の存在を匂わせる会話で進めていきます。少しだけ『ペンギン村に陽は落ちて』を思い出しました。そしてページが進むにつれ会話は投げやりになっていき最後はこの後の物語の要約で終わります。このあたりのわざとらしさは最近の著者に対する私の苦手意識につながります。
        次の『家庭の事情』では、妙齢の動物たちの結婚や夫婦事情、嫁姑問題についてのことが描かれていました。ゴシップ的な面白さはあるものの、小説としてはうーんといった感じです。
        『そして、いつの日にか』では二葉亭四迷と思わしき芝犬のタツノスケくんの、死期が近づいた船上での出来事が描かれていました。この時点で『日本文学盛衰史』の焼き直しかと思いました。ですが面白くなってきたのはここからでした。
        芝犬のタツノスケくんの死の間際の思い出として世界中の『人』が突然姿を消した日のことが語られます。
        犬たちは『主人』の消失に戸惑いながらもやがて『人』が作り上げた『世界』を継承しようと決意したこと。
        『人』の言葉を翻訳しようとした芝犬のタツノスケくんの苦悩が明治の小説家の苦悩と重ねて語られていくのです。
        続く『宇宙戦争』の語りは『ゴヂラ』を思い出しました。人生に疲れたような男のもとに深夜、なんにんもの謎の人物から「宇宙戦争がはじまった」という電話が来るというもの。
        『変身』はそのまんま、カフカの『変身』よろしくある朝起きると『人間』になってしまっていた様々な動物たちの様子を動物薀蓄とでもいうような情報とともに描いていきます。だんだんと食傷気味になってきたところで突然『神さま』の存在が匂わされ、『輪廻転生』という言葉が出てきて「to be continued」という冗談めいた文章(案の定なににも続かない)で終わる。このあたりの、とにかく意味ありげなものを物語の先に提示する感じは私が著者の作品から少し離れてしまった頃の作品と同じでした。
        ネタか本気か分からないが、とにかく書いてその先はあとで考えるという、彼が書くスタイルを変えたであろう時期の文章を思い起こさせます。
        『文章教室』と題された章は1から3まで続き、文章教室の教師を営む男の生活が描かれています。文章教室、なんて聞くとつい『さようなら、ギャングたち』を思い出してしまします。
        内容は動物の『刑務所』をまわって『タンカ』を教える男がそこでシやウタの本質に迫るタンカに出会いそれを解説していくという、小説というより著者の『文章教室』系の本のような内容でした。
        最後の章である『動物記』は、また急に視点が変わり高橋源一郎本人と思わしき男の語りで進んでいきます。
        死を意識し始めた著者(と思わしき男)の飾りのない語りには、これまでの文章にはなかったような凄みがありました。

        読み終えての感想としては、高橋さん、また面白い小説を書いてくれた!という喜びが大きかったです。上に書いた通り、やや読むのが辛かったり自己模倣を思わせる部分もありましたが、結論としては『言葉』について一番考え一番面白く書けるのはやっぱりこの人だったんだ、という感じです。読んでよかった。
        私は彼の初期の小説が好きでした。『言葉』について違和感や疑問のようなものが全ての文章にはこもっているからです。たぶん、そう方も多いのではないのでしょうか。
        ですが今回の『動物記』をはじめとするある時期以降の彼の作品は、小説を通してそれらを表現する、またはその違和感や疑問について考える過程を小説としている、ということなのだと思います。
        アドバイスをくれた方には感謝しています。そして、これを読んでなむあひさんが『かれらの』をどう改稿していくかはぜひnoteでお確かめください。
        2016年12月27日現在は、手書き分すべてと清書版の第1章が無料で読めます。

        伊藤なむあひnote

        ではながくなりましたがこのへんで。


        隙間社代表 伊藤潤一郎



        全然関係ないですが追記です。なむあひさんの応募した小説が11月の優秀作品に選ばれていました!
        BOOK SHORTS
        隙間社の2017年の目標は、インディーからも商業からも、なのでフライングスタートのつもりで頑張ります!




        | 隙間社的読書感想文 | 17:00 | comments(2) | - |
        『赤白つるばみ』楠本まき
        0
          こんばんは、弊社です。

          少しだけ久し振りですね。はい、隙間社的読書感想文の時間です。

          前回の感想文で、次はリチャード・ブローディガンの『西瓜糖の日々』かもとか言ってましたがやめました。いや、思ったよりも苦戦していて…。

          で、今日の本は楠本まき、赤白つるばみです。

          楠本まきさん、とても好きなんです。私は北海道の田舎で生まれ育ったので小さい頃は近所にまともな本屋なんてありませんでした。唯一あったコンビニくらい大きさの個人書店には、狭いコミックコーナーにジャンプ、マガジン、サンデーのコミックスがほとんどで、あとはせいぜい青年誌のコミックがほんの少しある程度。他は少女漫画が申し訳程度に並べられていました。

          確か中学生の頃でしょうか、少年誌に載っているような漫画に嘘くささを覚え、斜に構えた読み方をするようになってきました。友情も努力も勝利も鼻で笑うようになってしまった時期です。例の個人書店にあるような本はどれもそんな本しかなく、好奇心を持て余した私は家から離れたところにあるいかがわしい中古屋をウロつくようになりました。

          そこは古本屋というわけでなく、タイヤからCDからレコードプレーヤーから古本からVHSから食器棚から、もうとにかく何でも売っているような店です。今でいうリサイクルショップみたいなお店でした。かと言って店内が広いわけではなく、むしろ件の書店と同じくらいしかないような狭い店内にそれらが所狭しと並べられているのです。いまだったら消防法違反なのではと心配になってしまいます。

          ただ、そのお店には私の町では手に入らないような本がたくさん売っていたのです。表紙もボロボロで紙も黄色くなってしまったような本ばかりでしたが、生まれる前に出版されたような本や聞いたことのない出版社の本があって、そこが私の中で唯一、文化と触れ合える場所でした。

          ある日、本棚の上の方にやけに大きい本があることに気が付きました。何冊か並んでいましたがその中から一番興味を惹かれた本、白い表紙に細く綺麗な文字が並んでいる本を手に取りました。
          楠本まき『致死量ドーリス』との出会いでした。

          表紙を見て呼吸が止まり、ページを捲ってぶっ飛びました。求めていたものがそこにありました。それも、想像よりももっと完璧な形で。

          誰にも取られないのに急いでレジに持っていき、家に帰るのももどかしくその店の横で読み終えました。それからしばらくの間、私は毎日のように自転車をかっとばし行ける範囲での中古屋、古本屋のワイド版の本と、楠本まきの名前を探しました。手に入る範囲で楠本まきのすべての本が手に入るのには数年が必要でした。

          そんな愛する楠本まきさんの新刊が、しかも漫画が!(楠本まきさんはある時期以降漫画でなくイラスト付きのエッセイのような作品しか発表していなかったのです)

          すっかり新刊をチェックしなくなって久しかったのですが、何気なく眺めていたインターネットかなにかでその情報を知り、それでも実際に手に入れるまで少し時間がかかりました。理由はふたつ。新作を読んでがっかりするのが怖かったということ。もうひとつはAmazonではなく書店で発見したかったということ。

          ひとつめは、分かると思います。好き過ぎる作家の作品、それも時間が空いてしまった新作というのは読むのが怖いのです。

          ふたつめについては最初に楠本まき作品を手にした瞬間の記憶が影響しているんだと思いますが、ドラマティックに手に入れたかったんです。インターホンが鳴って荷物として受け取るだなんて考えられませんでした。本屋で探し、運命的に出会いたかったのです。いや、大袈裟なのは知っています。ですが、それだけ思い入れが強い作家なのです。

          果たして、私の理想は叶えられ(?)二駅隣の大型書店を巡り半日かけて下巻を。数週間後にたまたま立ち寄った町の書店で偶然にも棚に差し込まれていた上巻を手に入れました。

          随分と自分のことを語ってしまいましたね。

          感想です。赤白つるばみは同作者の代表作でもある『Kiss ××××』と同じく、大きなドラマもなく登場人物たちを淡々と描いた作品です。
          もちろんドラマが全くないわけではなく、魅力的なキャラクターが不思議でキュートで、でもどこか死の匂いのする日常を生きているのです。ずっと眺めていたくなる世界。

          一番衝撃的だったのが、序盤で美しい人々に老いを持ち込んだことです。ロリータな衣装に身を包んだ老婆がバスに乗っており、それについて主人公が思いを巡らすシーンは印象的でした。多分、それは作者のひとつの冒険だったのではないかと思います。そしてラスト。詳しくは書きませんが漫画を読んで久し振りに泣きました。そんな幸せを味わえる漫画は滅多に会えません。

          ほとんどで自分の話になってしまった気もしますが以上で感想を終わります。

          余談ですが古屋兎丸の漫画の中で、女の子二人がどの漫画家のキャラクターになりたいかという会話があり、一人は楠本まきの、そしてもう一人は吉田戦車と答えていました。それはまさに私が小さい頃影響を受けた漫画家そのものだったので、嬉しいような照れくさいような気持ちになったのを覚えています。

          好き過ぎる作家なので、今回は自作の紹介は止めておきますね。特になむあひさんは、ほとんど作品にその影響が出ているのだと思います。

          では今夜もこの辺で。



          代表 ヌネノ川
          | 隙間社的読書感想文 | 21:00 | comments(0) | - |
          『職業としての小説家』村上春樹
          0
            珍しく昼からこんにちは、弊社です。

            さて隙間的読書感想文(いま決めたタイトル)、第2回目。今日の本は村上春樹氏の『職業としての小説家』です。

            村上春樹、なんとも扱いにくい作家ではないでしょうか。氏の作品に対する評価は絶対値が大きく、下手に褒めると『はいはいハルキストね』などと言われ、下手にけなすと『春樹だからって批判したいだけでしょ、斜に構えちゃってまあ…』などと叩かれてしまうのです。

            ですが今回はそんなことは抜きにして、ただただ読んで思ったことを書き連ねていこうかと思います。

            まずこの本について説明すると、小説家・村上春樹が自身の小説とその小説の周辺のことについて語っている本であり、いわゆる自伝的エッセイにもなっているというものです。後半の、氏がアメリカに拠点を移し『ニューヨーカー』に小説が掲載されるまでのくだりなんて非常に読み応えがあります。

            読んでいてまず思ったのは、読みやすいこと。プロの文章(しかもエッセイ)が読みやすいのは当然といえば当然なのですが、氏の文章は小説も含め、読み手に浸透しやすい文章です。もちろんその文章・文体が苦手という方もいるのですが、これはあくまでわたしの感想です。

            ちょっと個人的なことを書かせて下さい。数年前に、私は小説の文章が全く読めなくなるという時期がありました。小説の文章が、全て文字の羅列にしか見えなくなったのです。ちょうど図書館に入り浸り小説や批評系の本を浴びるように読んでいた時期の後なので、その反動だったのだろう思います。

            本屋に行き気になる本を開けど、そこにあるのは味気ない印刷された文字の塊でしかないのです。なかなかの衝撃でした。このままずっと小説が読めなくなるのかなという恐怖もありました。いまでも覚えています。日暮里の駅に入っている本屋でそのことに気が付いたときの、あの血の気が引く感じ。

            それから、呆然としながら家に帰り、寝れば治るといいきかせその日は就寝しました。ですが、何回寝てもその症状は治まりませんでした。本棚の本たちがすべて死んでいるように感じました。

            何日か経って、ブックオフに行きました。CDを見たあと、半ば諦めつつも文庫本のコーナーに向かい、何冊か好きな作家の本を開いては落胆し、そして何を思ったか『風の歌を聴け』を手に取り、衝撃を受けました。小説として文章を読むことができたのです。すぐにそれを持ってレジに向かいました(ブックオフというのがなんとも格好がつかないですね)。

            何を思ったか、という言葉を使った通り、私はそれまで村上春樹という作家ににほとんど興味がありませんでした。10年近く前に『ノルウェイの森』を読んで「なんだか都合のいいスカした小説だな」と感じて以来、氏の本を手にしていなかったのです。

            ですが村上春樹氏のデビュー作である『風の歌を聴け』は『ノルウェイの森』で染み付いた先のイメージは感じさせず、軽快で、ユーモアがあって、捻くれていて、どこか作者自身が突き放したような、そんな文章でした。

            正直、内容についてはほとんど覚えていません。内容よりもその文体に感動したからです。読むだけで心地よい文章には、これまでほとんど出会ったことがありませんでした。強いて言うのなら高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』に近いものを感じました。

            その本を読み終え、2作目である『1973年のピンボール』も楽しく読めました。そしてそこから少しづつ他の作家の小説も読めるようになり、いつの間にか例の症状は消え去っていました。

            さて、話しが随分逸れてしまいましたね。そんなわけで彼の書く文章は、無駄がなく、明瞭で、雑音がありません。エッセイも同じです。とにかく読みやすい。

            ただ内容については逆です。小説が、謎を残し曖昧な部分を含め丸ごと作品にしているのに対し、エッセイは謎などなく明瞭に書かれています。とても興味深い内容で、村上春樹氏がどのように小説に向き合っているかがかなり深いところまで描かれているのです。

            ただ、この本は多分小説を書いている人が多く読むのだと思うのですが、それを楽しむことが出来ても参考にはならないでしょう。

            既に多くの方が言っている通り、成功した人間の方法を知っても直接的な参考にはならないのです。そのやり方が成功したのはその人だからであって、他の人が真似しようとしたところで方法と資質が噛み合わなければどうしようもありません。

            それでも氏のやり方を読む意味があるのだとしたら、自分がそのやり方『以外』の方法を模索すべきだと分かるということに尽きるのではないでしょうか。そんなことを、この本を読んで思いました。

            ただやっぱり読んでいて納得する部分は多く、例えば『頭の切れる人と長く小説家を続けられる人は違う』ということ。例えば『人物に名前を付けるのに抵抗があった』ということ。例えば『自分で楽しむために書くことをコアに持つ』ということ。この辺りのことについては私が以前から朧げに思っていたことがスッキリと言語化されており「そうそうそれそれ!」となりました。詳しい内容については是非本を読ん読んでみて下さい。

            そうそう、この本は小説を書く上でのヒントにはならずとも、きっと読んだ人間を励ましてくれると思いますよ。

            余談ですが、特に名前に関しては伊藤なむあひ氏も作中の人物に名前をつけられなことで悩んでおり唯一自然に名前を付けられたのが『鏡子ちゃん』という女の子でした。

            鏡子ちゃんは『鏡子ちゃんに、美しい世界』という作品の中に出てくる、本の中にだけ現れる女の子です。ただこの小説はタイトルから思い付いたので先に名前が決まっていたという、例外みたいなものです。今度書くという長編では名前の問題はどうするつもりなんでしょうか。

            少女幻想譚Amazonページ


            さて、2回続けて小説以外の本だったので次はそろそろ小説を読みたい気もしますね。もしかしたらリチャード・ブローディガン『西瓜糖の日々』にするかもしれません。

            では今夜はこの辺で。


            代表 ヌネノ川


            | 隙間社的読書感想文 | 12:00 | comments(2) | - |
            『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』編著 小出由紀子
            0
              こんばんは、弊社です。

              今回から始まりました読書感想文です。記念すべき読書感想文一冊目はこちら。

              『ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる』

              この本を買ったのは実は3年前くらいなのですが、読みたい本を積みに積んでいた結果、ようやく先日読み始めることになりました。そしてこれがまたべらぼうに面白い。

              ヘンリー・ダーガーを知らない方のために説明しておくと、ダーガーは死後その作品が発見され評価され作家です。なのですが、なにも不遇な作家という訳ではありません。そもそも作家という意識は本人にはなかったと思われます。

              1973年、アメリカで1人の孤独な老人が亡くなりました。彼はいわゆる底辺の暮らしをしており、近所の人間も人付き合いの悪いみすぼらしい男としか認識していませんでした。

              遺品を片付けるためにダーガーの部屋に入ったアパートの大家、ネイサン・ラーナーはその部屋にあった大量のガラクタ(トラック2台分との記載が!)を処分したあと、ダーガーのトランクの中の奇妙なものを発見しました。

              『非現実の王国で』と表紙に記された15冊分の原稿。約半数はダーガー自らにより製本されていたそうです。そしてその原稿の内容を図解する絵を集めた巨大な画集が3冊。それが孤独な老人、ヘンリー・ダーガーの秘密でした。

              正式なタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ-アンジエリニアン戦争の嵐の物語』。

              それは架空の世界の(膨大な)歴史の集積でした。子供を奴隷とし虐待する大人たちの王国、グランデリニア国。それに反対し抗戦するキリスト教の国の対立を、ヴィヴィアン・ガールズという7人の少女たちを主人公として描いた物語。タイプ原稿は1万5千枚に及んだそうです。

              また注目すべきは文章だけでなくダーガーの作り出したイラストで、彼の住むアパートのゴミ捨て場や路地裏から拾ってきた雑誌や新聞、漫画などを集めそれらをコラージュし、彩色し、初期の頃の挿絵を作成していました。

              『作品』が進むにつれコラージュの技法は減っていき、集めたコレクションの中から構図を参考にし自らの絵でその世界を表現していくようになりました。

              大家であるラーナーは偶然にも写真家であり工業デザイナーであった為、すぐさまその美術的価値を認め美術関係者にその『作品』を紹介し始めました。

              そうやってダーガーの『作品』は少しづつ有名になり、やがて彼の死後40年を経て美術館に収蔵されるとこになりました。今でも彼の作品は、謎を残し続けたまま多くの人間に愛され続けています。

              この本ではそういったダーガーの出生や歴史、作品への考察、そしてその物語の概要とダーガーによるイラストがフルカラーで紹介されています。

              眩暈のするような非現実の洪水。小説家という、虚構の作り手なら誰もがその世界の美しさ、切実さに心を打たれるのではないでしょうか。

              ダーガーの作品が特異なのは、彼が物語を作ろうとしていたのではない、という点です。彼は世界を作ろうとした、のでもありません。彼は正しく存在する(べき)世界を書き記しただけなのです。

              一部では彼の作品をアウトサイダーアートやアールブリュットと捉えているようですが私は違うと思います。もっと言ってしまえばアートと言うのも違う気がする。彼は単に記録者であったのではないでしょうか。

              ちなみに、やくしまるえつこの詩と坂口恭平のエッセイ、そして丹生谷貴志の評論が載っていますが、面白かったのは坂口恭平のエッセイ『ヘンリー・ダーガーという技術』。

              坂口氏も私と同じく紙でファミコンをして手づくりでRPGをプレイしていたようで驚きました。そういう人、私が知らないだけで意外といるのでしょうか。

              実は伊藤なむあひ氏の作品にも、ヘンリー・ダーガーに間接的に影響を受けたものがあります。『少年幻想譚』に収録されれている『死体の町へ。』と『ヴィーギー・ランド』です。

              『死体の町へ。』のラストに出てくるゲームの中身が『ヴィーギー・ランド』ということになっているのですが、『ヴィーギー・ランド』の中の国王、ヴィーギー・フロッサイムのモデルとなったのはヘンリー・ダーガーだったのです。

              なむあひ氏は4〜5年前に森美術館で行われていた『ヘンリー・ダーガー展』に行った際に、既にその世界の洗礼を受けていました。

              もう消えてしまった彼のブログには、とある島でヴィーギー・フロッサイムの作品を知り、数年後忘れた頃にヴィーギー・フロッサイムのドキュメンタリーフィルムを観た、というような記事がありました。もちろんヴィーギー・フロッサイムは実在しません。ですがなむあひ氏はいないはずの彼を、その周りを書くことで空白のまま浮び上らせようとしたのです。

              結果小説作品として残ったのが上記の2作品という訳です。彼にはいつか違う形でヴィーギー・フロッサイムを現出させて欲しいですね。

              伊藤なむあひ『少年幻想譚』


              長くなりましたが以上で第1回隙間社読書感想文はおしまいです。次は村上春樹『職業としての小説家』を予定しています。

              では今夜はこの辺で。



              代表 ヌネノ川

              | 隙間社的読書感想文 | 22:00 | comments(2) | - |